踊りの種類を知る

久高 諒也公開日:更新日:

300年もの時を生き延びたおわら。長く残ったのは、愛を持った人々がその都度、時代に合わせて綿々と踊り継いできたからこそ。伝承とは、不断の創造の上に成り立つものです。

3つの踊り

おわらは他の民謡と同様、はじめは唄だけでした。そのうち楽器が入り、踊りが入ります。時代と共に踊りも変わり現在は、
1.「豊年踊り」(旧踊り)
2.「男踊り」
3.「女踊り」(四季の踊り) と3通りの踊りがあります。

最初に公式の場で踊ったのは、明治44年。新聞社のイベントで芸者たちが即興で踊ったものとされています。

そして、今も残る基本の踊り「豊年踊り」が生まれたのが大正2年。富山県主催の一大イベント、一府七県連合共進会がきっかけです。

江尻せきという人物が中心になり、芸者たちと歌詞や伴奏を練り直しました。「深川踊り」や「カッポレ」といった日本舞踊からヒントを多く得ています。シンプルで、誰もが習得しやすい踊りとして構成されました。

さらに時が流れ、昭和4年。

東京三越で開かれる富山県の物産展示即売会の催しの一つとしておわらも招待。富山県の要請で初代保存会会長である川崎順二を中心に「おわら」の修正がなされました。

この時、今で言えば一流イケイケのアーティストや振付師たちを招き、プロデュースをしてもらっています。

当時「おわら」は芸者が踊り、町の娘は踊りませんでした。「女踊り」は鏡町の芸者が踊り、「男踊り」は「甚六会」が踊りました。娘を人目に触れさせなかったし、踊りに出すのはもってのほかでした。しかし、医者で名門の川崎順二は、5人の娘を率先して踊りに出しました。「あの川崎先生の娘さんが踊っているのなら」ということもあって、一般の人も踊るようになったといわれています。